とみ生徒との一日

(『芦田 均日記』全7巻のうち第1巻より、昭和61年刊、岩波書店)

昭和20年3月18日  治太郎*の命日

 昨晩丹波から帰る時には四個の小カバンに食糧を下げて帰った。貰ひ物であるにしても鶏肉あり卵あり、食用油ありで,孫達を喜ばせるに足るものであった。

 そこへ思いがけず霞ヶ浦から電報で「明朝十時頃かへる見込」と言って来た。

 十八日は近頃に珍しい快晴で、警報も出なかった。十時ごろに山を下りて大仏前まで出迎へようとスミ子*を促して支度をしてゐる処へ富*がひょっこり帰って来た。やがてルリ子*が来る。ミヨ子*は元春*をつれて参加した。海軍少尉中村健三君*は予ての約束で訪ねて来た。そこで昼食の食卓には吾等夫妻の外にミヨ子、ルリ子,中村君,元春を加へて七名、スープの後で鶏肉のスキ焼と赤飯とを食った。コーヒーも出たし、二時にお汁粉ものんだ。「もう腹一杯だ」と流石に富も腹を撫でゝゐる。親と子ども三人。孫一人と一緒に写真をとった。

 母親は細かい注意をもって、霞ヶ浦に残った富の友人への志として餅を十二、カラメル三箱、オレンジ若干、かき餅一鑵、寿司若干を持ち帰らせた。私は予て用意した皮革の手提げカバンを富に与へた。

 富は行々艦爆に乗るといった。そして近く特殊飛行を初めるのだそうだが、言葉の様子では成績も飛行に関する限り悪くはないらしい。

 午後三時半、スミ子、ミヨ子、ルリ子と共に富を見送る為に家を出た。トンネルの手前迄行った時、正面から三史君*が威勢よくやって来た。「午前中は竹槍の演習に出てゐましてね」と汗を拭いてゐた。

 四時半の汽車で富は鎌倉を出発した。彼が前線に出るのはいつになるか無論わからない。その時迄私がどうなるかこれもわからない。私は少しも感傷的な気分なくして富を見送った。然し若しかすると、今度限り逢へないかと考へてゐた。汽車は忙しく出る。富は車の中に突立ったまゝ挙手の礼をして出て行った。

 

(顔写真は一号生徒時代の芦田 富、『江鷹』卒業40周年記念誌より)


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